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広告の歴史とは?世界と日本の変遷を総合解説

公開日: 2025/5/28 更新日: 2025/5/29

広告は、情報や商品を世の中に広めるための手段として、古くから様々な形で活用されてきました。本記事では、世界から日本へと広がった広告の歴史をひも解きながら、その変遷と社会背景を総合的に解説します。

古代には看板のような原始的な手段から始まり、印刷技術が確立されると新聞や雑誌といった媒体が主流になりました。さらに、テレビやラジオが普及した近代には、メディアの特性を活かしたマス広告が台頭し、現代のインターネット広告に至るまで、大きな革新を重ねています。

広告の役割は時代ごとに変化しながらも、人々の暮らしや企業の経営活動に密接に関わってきました。本記事では、各時代の歴史的背景を踏まえつつ、広告がどのように進化してきたのかを確認し、今後の展望についても考えていきましょう。

古代から中世:広告のはじまりと初期の形式

広告という概念がどのように誕生し、中世までにどんな形をとっていたのかを概観します。

最古の広告とされる起源は、約5000年前のバビロニアで見つかったといわれています。石碑や壁画など、象形文字を使って商売やサービスを知らしめる試みが行われており、基本的な「告知」の概念が形成されていました。文字や絵を使った宣伝手段は限られたものでしたが、売り手が自らをアピールする初期の広告活動として重要な役割を果たしました。

古代ローマや古代エジプトでも、公共の場に告知を貼りだす方法が用いられていました。市場や劇場前に貼りだされた布や石板は、商品の供給や祭典の告知に役立ち、それが集客の一端を担っていたのです。こうしたシンプルな「掲示」「発表」の形態は、やがて各地の商人や団体が活用する普遍的な仕組みとして発展していきました。

中世ヨーロッパでは、商人が商品名を連呼して売り歩く「呼び込み」も行われていました。文字が読めない人が多い時代には、口頭での訴求や店先の看板などが効果的だったのです。当時は交通網や通信手段が限られていましたが、各地の定期市などを通じて、商人たちは遠方への宣伝も積極的に続けていきました。

近代広告への道:印刷技術と広告代理店の誕生

印刷革命と広告ビジネスの拡大が、近代広告の基礎を築きました。

15世紀半ばのグーテンベルクによる活版印刷技術の発明は、広告の大きな転機となりました。それまで高価で限られた手書きの発信手段が、比較的安価で大量に複製できるようになり、パンフレットや新聞の形をとった広告が広がる下地をつくったのです。

18世紀以降、印刷物に広告を載せるビジネスが本格化し、新聞広告は一般大衆に向けた販促として急速に普及しました。多様な企業や商店は新製品やサービスを早く知らせる手段として新聞を利用し、大きな成果を得たことから、さらに広告の需要が伸びていくことになりました。

こうした需要の拡大とともに、広告の仲介や制作を専門に行う広告代理店が誕生します。広告枠の管理や戦略的な企画立案を行う企業が台頭し、広告産業自体がひとつの巨大なマーケットへと成長を遂げました。

19世紀に花開いた広告ビジネスと新聞広告

19世紀は産業革命が進行した時代であり、工場の生産能力が向上し、商品の流通も広範囲にわたりました。それに伴い、多くの企業が顧客に向けた情報発信を求め、新聞広告に大きな期待を寄せるようになりました。

当時の新聞広告は、テキストベースが中心でしたが、徐々にイラストや装飾文字を取り入れたものも登場します。新聞社への広告費が増加するにつれ、広告代理店の機能も拡充され、企画からデザイン、販売促進の提案までを総合的に行う体制が整えられました。

世界的に見ても、19世紀後半になるとイギリスやアメリカで大手広告代理店が設立され、広告業界の国際競争が激しさを増しました。こうした基盤が後のテレビ広告やインターネット広告など、新しいメディアの広告ビジネスへと受け継がれていきます。

日本の広告の歴史:江戸から昭和・平成まで

海外の影響を受けながらも独自に発展してきた日本の広告史を紐解きます。

日本における広告の発展は、町人文化が花開いた江戸時代に特有の形で現れました。視覚的要素を活かした広告や商品PR手法が人々の目を惹き、やがて広告ビジネスは明治以降に急速な成長期を迎えていきます。

近代化の波を受けて新聞や雑誌が普及すると、広告は媒体をさらに拡張し、新たなビジネスチャンスを生み出していきました。電気通信の発展とともに、ラジオ広告やテレビ広告へと発展し、広告代理店の存在感が増すにつれ、広告キャンペーンの大規模化が進みます。

高度経済成長やバブル期に象徴されるように、大衆文化と広告はますます結びつきを深めました。当時はマスメディアの影響力が絶大で、テレビCMを中心にマーケティング戦略を立案する流れがスタンダードとなりましたが、のちにインターネット登場により広告の構図が大きく変わっていくことになります。

江戸時代の引札・錦絵と広告文化のはじまり

江戸時代には、商店や商品の宣伝を兼ねた引札や錦絵が盛んに作られました。看板や暖簾といった視覚的資料も多用され、読み書きが十分に普及していない社会での宣伝手法として機能していたのです。

錦絵には美人画や風景画の中に商店の広告がさりげなく盛り込まれるなど、芸術性と宣伝を組み合わせた形が取られました。これらは購買意欲を刺激する芸術的な表現である一方、粋で洗練された文化をアピールする手段としても評価が高かったのです。

江戸後期になると、庶民が比較的自由に行き来するようになり、情報流通も活発化します。その流れで、読売物や瓦版といった形態でも広告が取り入れられ、街中や祭りの場でのPRアイディアが多彩に展開されていきました。

戦後のマス広告:テレビ・ラジオCMの登場と拡大

第二次世界大戦後、日本の復興とともに急速に広まったのがマス媒体を通じた広告でした。ラジオは音声のみで商品やサービスの魅力を伝え、テレビは映像と音声を組み合わせた説得力のある広告として社会に浸透していきます。

1953年に民放テレビ放送が始まると、企業はテレビCMの影響力に注目し、広告費を積極的に投じるようになりました。カラーテレビの普及期には、映像で訴える手法がさらに多様化し、大胆なクリエイティブ表現を競い合うようになりました。

高度成長期にはテレビ広告が広告費の中心を占め、人気番組やスターを起用したCMが視聴者の印象に強く残るケースも多くなりました。やがて1960〜70年代にかけての消費ブームと重なり、マス広告は企業の売上拡大に大きく貢献する役割を果たします。

インターネット広告の歴史:1990年代からの革命

デジタル革命が広告のあり方を根本的に変えた時代を振り返ります。

1990年代後半にインターネットが一般家庭やオフィスに普及し始めると、広告の世界にも新たなビジネスチャンスが芽生えました。従来のマスメディアと異なり、インターネットは双方向のコミュニケーションやデータ解析が可能で、精度の高いターゲティングや効果測定が注目され始めたのです。

企業はホームページやポータルサイト上でバナー広告を展開し、電子メールを使ったメール広告を利用するようになりました。さらに検索エンジンが進化すると、その検索機能を利用する広告の可能性が広がり、ここから一気にリスティング広告やアフィリエイト広告へと形を変えていきます。

インターネット広告は短期間で多様な形式へ拡張し、行動ターゲティングやプログラマティック広告などの技術的飛躍が続きました。スマートフォンなどの新たなデバイスの登場と合わせて、広告配信の速度と効率は劇的に向上し、今では企業マーケティングに欠かせない存在となっています。

バナー広告・メール広告(1990年代後半)

インターネット黎明期には、ウェブサイト上に画像やテキストの枠を設けるバナー広告が主流を占めました。クリックによって企業のサイトへ直接誘導できる利便性は、それまでの紙媒体やテレビ広告にはなかった大きな特徴です。

同時期にはメール広告も活用され、企業が自社の新商品やキャンペーン、クーポン情報をダイレクトに届けることが増えました。受け手のアクションを促しやすい手法として注目を集めましたが、迷惑メールの問題も浮上し、スパム対策が課題となりました。

こうした初期のインターネット広告はまだ配信量が限られていましたが、オンライン利用者の急増とともに瞬く間に一般化し、広告予算の一部がデジタルに振り向けられる端緒となりました。

リスティング広告・アフィリエイト広告(2000年代前半)

検索エンジンの普及により登場したリスティング広告は、ユーザーが検索したキーワードに応じて広告を表示する仕組みです。商品やサービスの検索意図を持つ見込み客に直接アプローチできるため、費用対効果が高い手法として瞬く間に普及しました。

同じ頃に盛り上がりを見せたのがアフィリエイト広告です。サイト運営者(アフィリエイター)が広告を設置し、成果(購入や会員登録など)に応じて報酬を得る成功報酬型のビジネスモデルとなります。企業側は費用対効果を測りやすく、インターネットの特性を活かした高度な広告手法でした。

リスティングとアフィリエイトは短期間で大きな市場を形成し、それぞれのプラットフォームを専門に扱う事業者やコンサルタントも数多く誕生しました。広告代理店もデジタル分野の事業拡大を図り、従来のマス広告とは別軸でノウハウを蓄積していきます。

行動ターゲティング・第三者配信の進化(2000年代後半)

2000年代後半になると、ユーザーの閲覧履歴や購入履歴などの行動データを活用したターゲティング広告が急速に進化しました。これによって、広告主はより精密に興味関心の高い層へアプローチできるようになり、広告効果の最大化が追求されるようになります。

第三者配信の技術も発展し、広告配信ネットワークが多様なサイトに最適なタイミングで広告を表示する仕組みが一般的になりました。ユーザーの行動に合わせて柔軟に広告の内容を切り替えられるなど、個別最適化による高いコンバージョン率が期待されました。

これらの技術の向上に伴って、プライバシー保護やデータ活用の在り方が議論されるようになり、広告業界と社会の間では新たなルールづくりが求められるようになりました。

DSP・アドエクスチェンジ・DMPによる高度化(2010年代)

2010年代に入ると、まだ個別に配信されていた広告の枠売買をリアルタイムに行うプログラマティック広告が主流になっていきます。DSP(Demand Side Platform)やアドエクスチェンジが普及し、広告主は希望するターゲットや入札額を設定するだけで、瞬時に多くの媒体に広告を配信できるようになりました。

DMP(Data Management Platform)では、多種多様なデータを一元管理し、ユーザーごとの属性や行動を分析して、より精密なターゲティングが可能になります。これにより、高度な運用型広告が実現し、広告の効果測定の精度も格段に向上しました。

こうしたプログラマティック広告の台頭によって、広告の流通方法は大きく変化し、媒体料金の自動化や最適化が行われるようになります。これらの高度化は、インターネット広告が現代の広告市場の主役になった大きな要因の一つといえるでしょう。

世界の広告市場と主要エージェンシーの台頭

グローバル規模で拡大を続ける広告市場と、先導的役割を果たす主要エージェンシーの特徴を探ります。

世界の広告市場は、先進国だけでなく新興国も含めて急速に拡大を続けてきました。特にインターネットの普及は地域の経済発展度に関係なく広告ビジネスを可能にし、デジタルマーケティングの競争が激化しています。

主要広告代理店は、単なる広告枠の仲介ではなく、戦略やクリエイティブ、デジタル技術を包括するトータルソリューションを提供する存在へと変化しました。グローバル展開を行う企業も多く、世界規模のキャンペーンを複数の拠点やネットワークを活かして展開するケースが増えています。

こうした中で広告エージェンシーは、クライアントニーズに合わせてデータ分析やブランド戦略、ソーシャルメディアの運用などを統合的に実施します。広告主側も多様化する顧客行動に対応するため、国内外を問わず大手エージェンシーのサポートを得る意義が高まっているのです。

まとめ|広告の歴史を知り、未来を展望する

多様な変遷をたどってきた広告の歴史を俯瞰し、今後の方向性を考察します。

古代の単純な告知から始まった広告は、印刷技術やマスメディアの普及を経て、現在のインターネット・デジタル広告へと形を変えてきました。技術革新と社会の変化が広告を支え、その都度新たな形態や表現手法を生み出してきたのです。

日本では江戸時代の視覚的な技術や町人文化に始まり、やがて高度経済成長期のテレビ広告が直接的な購買行動を喚起する強力な手段として重要視されてきました。インターネットの急速な普及により、データドリブンな広告手法が当たり前となり、ユーザーのプライバシーや情報管理にも大きな関心が寄せられています。

今後はAI技術などのさらなる発展により、広告配信の精度が飛躍的に向上すると予想されます。広告の歴史を学ぶことで、その背景や変遷を理解するだけでなく、より消費者に信頼される広告を届けるためにどのようなアプローチが求められるのか、包括的に考える基礎となるでしょう。

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